他聞は憚る一大事じゃ

「他聞は憚る一大事じゃが、しかし女房は一心同体。おぬしにだけなら話しても好かろう。これ、びっくりしてはならぬぞ。隠居所の御客人はアレこそ当国の太守、少将様の御落胤、奥方様御付きの御腰元|鶴江《つるえ》というのに御手が付いて、どうやら妊娠と心づき、目立たぬ間にと御暇《おいとま》を賜わった。そこで鶴江殿は産れ故郷の播州《ばんしゅう》姫路《ひめじ》に立帰り、そのまま縁付いたのが本多家の御家来小笠原|兵右衛門《ひょうえもん》。この人は余程お人好しと見えて、何も知らずに鶴江殿を嫁に貰ったのか、但しは万事心得ていて、それを知らぬ顔でいたのかそこまでは聴かなんだが、何しろそこで産声を挙げられたのが金三郎様じゃ。その後小笠原兵右衛門さんは仔細あって浪人。その伜で届けてある金三郎様も御浪人。大阪表へ出て手習並びに謡曲《うたい》の師匠。その間《うち》に兵右衛門さまは御病死、後は金三郎様が矢張謡曲と手習の師匠、阿母《おふくろ》様の鶴江様が琴曲の師匠。その鶴江様が又御病死の前に、重い枕下《まくらもと》へ金三郎様をお呼び寄せの上、実はこれこれの次第と箪笥《たんす》の抽斗《ひきだし》深く納《しま》ってあった新太郎少将様の御守脇差を取出させて、渡されて、しかし決して名乗り出ては相成ならぬ。君の御迷惑を考えねばならぬと堅く留められていられたのを、旅医者の俊良殿がチョロリと耳に入れて、なんというても御親子《ごしんし》は御親子であるで、御|記念《かたみ》の脇差を証拠に名乗り出《い》で、御当家に御召抱えあるようにと、その御願いの為にお出向きなされたので、猶《なお》まだ動きの取れぬ証拠としては、御墨付同様の書類もあるとやら。素《もと》よりこの儀造り事ならば、御殿様の御心に御覚えのあろう筈がないで、直ぐ様|騙《かた》り者と召捕られて、磔《はりつけ》にもなるは必定。そんな危い瀬を渡る為にわざわざ三人で来られる気遣いはなく、まぎれもない正物《しょうもの》とは、わしにさえ鑑定が出来るのじゃ」`「やれ、嬉しや、福の神じゃ」` お幸と来ては亭主以上の欲張り女。`「そこで、それ、今の内に、娘のお綾をな」`「合点で御座んす」` 気が早い。欲に掛けては呑込《のみこみ》の好い事|夥《おびただ》しいのであった。` こうした欲張二人の間に、どうして美しいお綾という娘が出来たろうか。イヤそれは出来る訳がないので、実は宿に泊った西国巡礼夫婦から金に替えて貰ったので、この娘を看板に何か金儲けと考えていたのが、今度初めて役に立った訳。`「したがこの事は、娘の耳にも入れて置いた方が宜しかろう」`「それもそうじゃの」` この事を母のお幸から、密《そっ》と娘お綾の耳に入れた。そうして。`「お前の出世にもなる事だから、必らず金三郎様の御意に逆らわぬように、何事でも素直にお受けして、好いかえ」` ところが、このお綾には既に人知れず言交《いいかわ》した人があるのであった。それは朝日川原の夕涼に人出の多い中をお綾はただ一人で、裏口から出て、そぞろ歩きしていた時の事であった。`「やァ評判の半田屋の娘が涼みに出た」

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