備前岡山は中国での京の都

「なる程、備前岡山は中国での京の都。名もそのままの東山《ひがしやま》あり。この朝日川《あさひがわ》が恰度《ちょうど》加茂川《かもがわ》。京橋《きょうばし》が四条《しじょう》の大橋《おおはし》という見立じゃな」 西中島《にしなかじま》の大川に臨む旅籠屋《はたごや》半田屋九兵衛《はんだやくへえ》の奥二階。欄干《てすり》に凭《もた》れて朝日川の水の流れを眺めている若侍の一人が口を切った。「どうもこうした景色の好い場所に茶屋小屋の無いというは不自由至極。差当りこの家《うち》などは宿屋など致さずして、遊女|数多《あまた》召抱えるか、さもなくば料理仕出しの他に酌人ども大勢置いて、大浮かれに人の心を浮かした方が好かりそうなもの」 同伴の色の黒い、これは浪人体のが、それに次いで口を開いた。「これ、滅多な事を申されな」 それを制止したのは分別あるらしき四十年配の総髪頭。被服から見ても医者という事が知れるのであった。「かの伊賀越《いがごえ》の敵討、その起因《おこり》は当国で御座った。それやこれやで、鳥取《とっとり》の池田家と、岡山の池田家と御転封《ごてんぽう》に相成り、少将様こちらの御城に御移りから、家中に文武の道を励まされ、諸民に勤倹の法を説かせられて、第一に遊女屋は御禁制《ごきんぜい》じゃ。いや、この家も以前には浮かれ女を数多召抱えて、夕《ゆうべ》に源氏の公《きみ》を迎え、旦《あした》に平氏の殿を送られたものじゃが、今ではただの旅人宿《りょじんやど》。出て来る給仕の女とても、山猿がただ衣服《きもの》を着用したばかりでのう」と説明の委《くわ》しいのは既にこの土地に馴染の証拠。「したが、女中は山猿でも、当家の娘は竜宮の乙姫が世話に砕けたという尤物《いつぶつ》。京大阪にもちょっとあれだけの美人は御座るまいて」と黒い浪人は声を潜《ひそ》めながらもニコニコ顔で弁じ立てた。「や、駒越氏《こまごえうじ》には、もう見付られたか。余の儀は知らず女に掛けては恐しく眼の利く御人でがな」と総髪の人は苦笑《にがわらい》を禁じ得なかった。

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