頭の禿《は》げた洋画家

 それは僕より五つも年上の頭の禿《は》げた洋画家であった。「あら、だって、……」 小説というものがメシよりも好きと法螺《ほら》を吹いているトシちゃんは、ひどく狼狽《ろうばい》して、「林先生って、男の方なの?」「そうだ。高浜|虚子《きよこ》というおじいさんもいるし、川端|龍子《りゅうこ》という口髭《くちひげ》をはやした立派な紳士もいる。」「みんな小説家?」「まあ、そうだ。」 それ以来、その洋画家は、新宿の若松屋に於《お》いては、林先生という事になった。本当は二科の橋田新一郎氏であった。 いちど僕は、ピアニストの川上六郎氏を、若松屋のその二階に案内した事があった。僕が下の御不浄に降りて行ったら、トシちゃんが、お銚子《ちょうし》を持って階段の上り口に立っていて、「あのかた、どなた?」「うるさいなあ。誰だっていいじゃないか。」 僕も、さすがに閉口していた。「ね、どなた?」「川上っていうんだよ。」 もはや向っ腹が立って来て、いつもの冗談も言いたく無く、つい本当の事を言った。「ああ、わかった。川上眉山。」 滑稽《こっけい》というよりは、彼女のあまりの無智にうんざりして、ぶん殴りたいような気にさえなり、「馬鹿野郎!」 と言ってやった。

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